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    *2014/10/09(Thu)

    【村上春樹がノーベル文学賞を取れない理由
     〜来たるノーベル文学賞2014の発表によせて】

    今年もノーベル文学賞の発表が近づいてきました。
    本日10/9(木)午後8時とのこと。

    私は数ある文学賞の中でも、受賞者の顔ぶれで言うと、このノーベル文学賞の審査選考がとても好きなので今から非常に楽しみです。

    もちろん世界的な規模の賞であり、創設の経緯から、受賞は純粋に文学作品としての評価ではなく、政治的な要素も孕んでいるではないか、という指摘があり、そういった意見もわからなくもないのですが、1949年度、当時ほぼ無名だったフォークナーに賞を与え、その後から現在に至るまで、ガルシア=マルケス、大江健三郎、ジョゼ・サラマーゴと、脈々と続く文学の一大潮流の基礎を築き上げたという点において、(文学を愛する人間には絶対に否定出来ないこの一点において、そしてたとえこの一点でしか判断できないにしても)他の賞ではまず考えられない全うな選考であり、非常に価値がある賞と言わざるを得ないと思うのです。
     
     
    さて、毎年この時期になるとラドブロークスのオッズで高評価の村上春樹に注目が集まり、「今年こそ受賞か?」と話題になりますが、、、

    毎年毎年性懲りもなく盛り上がりに冷や水を被せるようで恐縮ですが、ノーベル文学賞好きの私から見ると、残念ながら彼の受賞は考えられません。

    私の考える理由は以下の三点。

     1.フォークナー/ガルシア=マルケス路線でない
     2.文体がノーベル選考委員の好みではない
     3.作風が現実逃避

    では、一つずつ見ていきましょう。
     
     
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    1.フォークナー/ガルシア=マルケス路線でない

    特にここ約20年間にノーベル文学賞を受賞した作家に非常によく見られる、いわば現代のトレンドとでも呼べるような文学上の手法があり、これを取り入れている作家は受賞の可能性が高いです。
     
    フォークナーに始まり(※実はそのさらに起源もあるのですが、それについてはまた後日)、ガルシア=マルケスが飛躍発展させた路線、まあ誤解を恐れずにざっくりとまとめてしまうと、関係詞節による説明追加がいつまで経っても閉じることがなく延々と何ページも続いていき、当然、句読点(ピリオド)が打たれることもなく、いつの間にかメインの物語がこの一単語の中で展開していくという、とんでもない手法。
     
    近年の受賞者では特に、トニ・モリソン、大江健三郎、ジョゼ・サラマーゴ、最近では2012年受賞の獏言にこの影響が見受けられます。(実際、獏言はフォークナーとガルシア=マルケスからの非常に大きな影響を公言している)
     
    では村上はどうか。ざっくりとまとめると、フィッツジェラルド、カートヴォネガットの路線であり、フォークナーらの路線とは違うように思えます。
     
     
    2.文体がノーベル選考委員の好みではない

    村上春樹と言えば、アメリカの文豪フィッツジェラルドから影響を受けている事が有名。その傾倒っぷりは尋常ではなく、デビュー作「風の歌をきけ」はほぼフィッツ・ジェラルド「グレート・ギャツビー」を丸写ししたような文体で、芥川賞にノミネートされるも、選考委員の大江健三郎から「今日のアメリカ小説をたくみに模倣した作品もあったが...」などと切り捨てられている。(ここでの「今日のアメリカ小説」とは恐らくヴォネガットも含まれるかと思われますが)
     
    その影響元となるフィッツジェラルドは、ヘミングウェイ、スタインベック、フォークナーらと並び、1900年代初頭アメリカを代表する4大文学者の一人とされるが、彼ら4人の中でフィッツジェラルドは唯一ノーベル文学賞を受賞していない。
     
     
    3. 作風が現実逃避

    意外に言及されることが少ないですが、ノーベル文学賞の選考委員は、土着的な作風の作家を好む傾向が強いです。自分の生まれ育った土地特有の民族性であるとか、固有の風習みたいなものを表現している作家といいますか。そして、土地に言及すればそこには必ず政治的な要素が発生する訳で、そこから結果的に「政治的な賞」と言われてしまう訳ですが、政治そのものではなく、むしろ各作家の出身の土地に根付く歴史・文化・伝統を重視していると思えるのです。
     
    例えば、亡くなるまで自分の生まれた育った南部アメリカの小さな町、オックスフォードに拘り続けたフォークナー
     
    コロンビアの寒村に古くから伝わる近所の噂話、神話、伝承を幻想的な想像の世界と融合させて描いたガルシア=マルケス
     
    フォークナーの手法を活かしつつ四国の森、都市との対比を描き続けた大江健三郎
     
    村上の場合、むしろこういった土着性を極力排除してファンタジーの世界へ現実逃避する傾向が強い。
     
     
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    という訳で上記の理由から、私にとって村上春樹はノーベル文学賞からは程遠い作家に感じられてならないのです。はてさて、今回はどうなることやら。

    文学にあまり興味のない人達がお祭り騒ぎで村上を持ち上げたくなる気持ちは分からなくもないですが、現実逃避のファンタジーで歴史に名を刻めるほど文学は甘いものではないと思います。

    個人的には今年はヨン・フォッセ、シオンゴ、ピンチョンあたりが気になります。アレクシェービチはちょっと違うんじゃないかなあ。日本人であれば石牟道子さん、10年以内に円城塔さんが受賞に相応しいと予想してみる。

    夜中に何を長々と書いているんだろう私は。。