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    *2016/02/23(Tue)

    【King Crimson来日公演によせて】
      
    1995年の2月、13才の私はKing Crimsonのアルバム「Red」を聞いた。普段は音楽など聞かないのに、このときは何故か、ジャケットのデザインを気に入ったので部屋に持ち帰り、気づいたら再生機にかけていた。5秒に1回くらいの落ち着く暇もない頻度で期待を裏切る独特すぎる作曲。通常であれば否定されるはずの「違和感」が全て肯定されるかのような世界観。今まで周りから否定される度に慎重な調整を繰り返しながら築き上げていった「何か確かそうであるもの」がゴミ屑に変わっていく時間。空調の無い部屋で寒さに凍えながらということもあって、寒気できんと張りつめた空気とノイズとで部屋が満たされていくかのような恍惚感を味わいながら。
      
    それからはもうKing Crimsonに関するものは出来るだけ入手するようにした。大嫌いであった音楽にも徐々に興味がわいていった。母の知人がイギリスに旅行に行くと聞いたときは電話して「お金はバイトでも何でもして必ず返すからKing Crimsonというバンドのアルバムを手に入るだけ買ってきてほしい」と必死にお願いした。それまであまりに音楽に興味がなかったので、洋楽のCDが日本で手に入ることを知らなかったのだ。しかし彼女はお願いとおり何枚もアルバムを買ってきてくれた。
      
    「In the Wake of Poseidon」「Lizard」「Starless」...
      
    中でも私が最も好きな作品となった、1971年リリースの4thアルバム「Islands」。最後の収録曲の演奏が終わったあと、ボーナストラック的にスタジオの音が収録されていて、それは演奏というよりも、弦楽器のチューニングなど、演奏前の準備風景の様な音であるが、突如、「Three...... 1、2、3、2、2、3」という囁き声とともにブチッと音が途切れてアルバムは唐突に終了する。
      
    今回のライブは、メンバーがステージに現れ、定位置に着くと、まもなくこの「準備風景の音」のSEが流れ、当然、観客席では私をはじめ、これに気づいた往年のファンが生唾を飲み込む。「Three...... 1、2、3、2、2、3」の囁き声をドラムのカウント代わりにするかのように演奏が始まった。総毛立つ程の興奮が全身に流れる。ここで始まった曲は、上記「Islands」の次のアルバム「Larks Tongues in Aspic」の1曲目である。この2枚のアルバムの間にKing Crimsonは一度「崩壊」している。(創設メンバーの一人である詩人のPete Sinfieldが脱退してしまい、以降は作風が大きく変わるのだ。)分断された時間がここで繋がる。この演出は、深くCrimsonを追いかけてきたファンでないと瞬時には気がつかない。あつい心遣いに感謝の涙がこぼれた。
      
    現時点まで残る唯一の創設メンバーであるRobert Frippは、いつも同様に後方上段の上座に陣取っていたが、今回はリードギターのパートを担当するというよりは、ヘッドフォンを装着し、主にバンド全体の動きを観察しながら要所要所で指示を与え、指揮官の役割をしていたような印象であった。特に、初期の代表曲「Epitaph」に至っては左手でギターのネックを握りしめた状態で上座からじっとメンバーを観察したまま演奏には一切参加せずにそのまま終演。今回の彼の姿勢を最も端的に象徴していた出来事であった。
      
    一方、実力が心配されていた新入りメンバーのJakkoは、元々Frippが担当していたギターのフレーズを完璧に再現演奏しながらヴォーカルも兼任。45年以上に渡って活動してきたバンドの様々な時期の楽曲を取り入れた、言わばベストアルバム的な選曲であったが、歴代ヴォーカルの楽曲を見事に歌いこなした彼は、貢献度で考えるならば今回一番の働きをしていたように思えた。
      
    ステージ前方下段の空間すべてを使い切って横一列に並んだ3人のドラム隊。果たしてドラムが3人もいて意味があるのか、という最もな疑問は演奏が始まってすぐに解消された。メインのビートはGavin Harrisonが刻み、裏拍を中心に変態的な装飾フレーズをBill Rieflinが、そこへさらに追加でPat Mastelottoがファンキーなフレーズを加えていく。このように、基本的にはフレーズが被らないよう配慮されたアレンジであったが、所々、被りを気にせずに3人それぞれが気楽に叩いているような箇所もあり、それらは演奏力の高さからか全く問題なく成立していた。微妙にタイム感の違う3人の間の取り方が面白い。ユニゾンした際の迫力がまた凄い。3人が同時にフラムストロークした瞬間のスネアの響きは圧巻であった。
      
    Frippの的確なコントロールのもと、バンドは次々に代表曲を演奏。まるで、積み上げてきた歴史の総決算を目の前で見せられているようで、もはやFrippの全く演奏をしない時間が続いても気にならない。
      
    なぜならそれは、厳格さを崩すことなく、生徒達の成長に誇りを感じているかのような、それでいて信頼しきった仲間に対する安心感をも含んだかのような微妙な表情でメンバーを見つつ、はにかみながら「これが私の作ってきた音楽です。いかがでしょうか?」と念を押すように観客席へ視線をよせるFrippが、人生の長い時間をかけて築いてきた財産そのもので、この音楽と出会え、聞き続けてきたことは決して間違っていなかったと確信出来る、何とも愛おしい時間でもあったのだから。
      
    20年前、初めて聞いたとき、あまりの奇抜さに度肝を抜かれた唐突な曲展開の数々。突然曲調が展開してジャズのアドリブのような演奏が始まったかと思うと、また何事もなかったかのように元の曲調に戻る。その違和感は勿論もう感じない、次の展開は全てこの体に刻みこまれている。私がこのバンドで一番好きな曲「Sailor’s Tail」も聞けた。本当に終わらないでほしい時間であった。
      
    定時の19時から10分程遅れで開始して、1時間もしないうちに終了。いくらなんでも短かすぎじゃないかと、終演後すぐにスマフォの画面を確認したら既に21時半近く。なんだ、2時間以上も演奏していたのか。
      
    終演後、他のメンバー全員がステージを掃け、スタンディングオベイションの余韻が止まぬ中、一人ステージに残り、深々とお辞儀をするFrippの様子は、ああ、もう本当に歴史に幕を閉じる決意をしていたのだな、と感じさせるものであった。